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システムが作るドラマ・茶番から目覚めて、自らの生命を信頼して生きる

本質へ還る旅をサポートする 受容・削ぎ落とし・サレンダー・エゴに関するスペシャリストで波動調整®創始伝道者片岡ひろ子です。

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最近、録画してあったNHKの「不滅のあなたへ」というアニメを観ています。

その中で出てきたこのフレーズがすごくいいなと。

 

「自分の境遇に興味なくなった」

 

ドラマ仕立てのストーリーを作り出すのをやめたって感覚に等しいなって。

エゴが落ちて「どう」でもよくなった感じというか。

 

「自分」というキャラクターへの執着が消えて初めて、この人生をニュートラルに生き始められるような気がしています。

 

で、kan.さんのこの言葉にも通じるなぁと。

 

「自分の生命が刻まれていることと、システムの中で生きさせられていることは、違うことです。」

 

システムの中で作り上げてきたドラマを超えて、奥のプレゼンスと繋がると、それまでとはまるで違った感覚で生きられるようになるんですよ。

 

「どう」でもいいからこそ、起こることになっていることが起こり始める。

プレゼンスからのクリエーションが溢れ出る感覚。

 

エゴが執着に基づいて無理くり何かするのとは全然違う感覚です。

 

 

結局のところ、茶番を成り立たせるのは、結局無理くり何かをしたがるエゴの仕業か…と。

 

茶番ていうのは、コロナだけじゃなくて、この社会で創作されている幾多のドラマ全部についてですよ。

 

恐れ、不安、痛み、傷、怒り、偽善、自己欺瞞、拝金主義、物質主義、無知、不信、、、

 

そこにフック🪝がかかるんだなぁ、、、と、目に入ってくるものを洞察していて感じます。

 

戦争がでっち上げられ、大衆がそこに巻き込まれていくのと同じ構図なんだなとあらためて。

それが悪いって話ではなくて、現在の集合意識の状態がよく見えるなぁと感心してます。

 

意図があって起こす戦争や災害は無差別な選別?だったけど、今は志願制の選別だからある意味親切だなーとも思っています。

 

本来は人間の気づきや浄化のためのシステムである病気(症状)を仮想敵と見做して、多くの人が戦っている。

善意を利用され、特攻隊よろしくお門違いな対策に駆り出されているんですよね、命を犠牲にしてまで。

 

その選別というのは、ある種、仮想現実の中を生きるのか、仮想現実を眺めつつ自分自身のリアルを生きるかの違いで齎される。。。

 

 

でもね、ここで、厭世的になることなく、これをしっかり眺めていくのが大事だなと思うのです。

 

起きていることを見守っていくこと。

 

最近のセッションやセミナーでは、(私のところに来る人だから大衆側ではなくて、アンチ大衆で)厭世的になる人、茶番と闘う人、闘って疲れた人、ワクチンや管理社会や…来るべき世界が怖い人なんかが多いです。

 

セッションでは、その人の脳内に構築された幻想を一緒に喝破していくんです。

と同時に波動調整®️もするので、観ている世界のチャンネル自体も変えていきます。

 

すると、茶番の中にいたキャラクターとしての自分との同一化が剥がれて、今まで何やってたんだろ?ってまるで夢から覚めたみたいに可笑しく思えてくるようになっていく。

 

深刻さが取れ、過去の自分を笑えるようになったら、その件については完全に洗脳が解けたと言っていい。

 

 

でね、これは私の気づきなんですけど、、、、

私の周りで繰り広げられるそれぞれのドラマを垣間見て感じるのは、「無知が為す善は偽善だよなぁ、、、」ってこと。

 

良かれと思ってやることにろくなことはないなと染み染み。。。

 

だから、ニュートラルなところから湧いてくることを表現していくしかないんだなと、これもまたあらためて思うのでした。

 

 

本質的な知性というのは、プレゼンス、奥、背後からもたらされるのであって、キャラクターの頭の中にあるのは「知性」ではなくて、単なる知識や情報の断片でしかありません。

 

場合によってはガラクタでいっぱいになってることも多々。

テレビやらマスメディアの流してくるものの多くは、本質とは関係ないガラクタだったりして…

 

だから、その頭の中身をあまり頼りにしないことが大切です。

自分(エゴ)でなんとかしようとするよりも、起こることをゆるして委ねて行くと必要な智慧はどこからともなく齎されます。

 

 

最後にこれ貼っておきますね。去年の投稿から。

 

 
【群盲象を評す】物事を決めつけて話す人からは知性が感じられないんだよねー。「こういう見方もあるよ」というのなら、大変興味深くいろんな話を楽しめるのだけど、自分の意見が全てだという人とは話をしても全く楽しくも面白くもない。
 
そして、大概の争いや衝突はそれぞれがこの状態に陥ってるからなんだよね。
 
以下、ウィキより引用
群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす、群盲評象)は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話。世界に広く広まっている。真実の多様性や誤謬に対する教訓となっているものが多い。盲人が象を語る、群盲象をなでる(群盲撫象)など、別の呼び名も多い。
 
あらすじ
この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場する。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というもの。
 
画像は1909年出版の書籍「Golden treasury readers」より

 

 

夢(幻想)から目覚めて、平安に過ごすサポート、タイミングが来た人にさせていただきます。

 

22日のトークライブでは、ご質問も受けますので、遠慮なく⭐️

 

 

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