本質へ還る旅をサポートする 受容・削ぎ落とし・サレンダー・エゴに関するスペシャリストで波動調整®創始伝道者片岡ひろ子です。
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昨日からの一連のSNS投稿をまとめてみました。
始まりはここから。クリシュナムルティの言葉をシェアしたところ。
他人を責めたり、咎めたり、思い通りにコントロールしようとしたり、自分の考えを押し付けたり…
そういうのも平和とは言い難いし、そうしてしまう本人も苦痛を味わっている。
根底にある観念、想念、欲望などに気付いて過ぎ去らせていく道が平和への道。
自分を通して人類の業を成仏させること。
もちろん自分のことも責めたり、咎めたり、コントロールしたり、正しさで裁いたりすると平和じゃなくなる。
他人を責める自分が出ちゃったのなら、それを認めて受け容れて放っておく。
出てしまったものはもう変えられないから、ゆるすより他ない。
起こることにも起こったことにもsurrender☆
これをですよ、ジョージがシェアしたんだよね。
普段だったら、ジョージのウォールとか覗かないんだけど、なんだかたまたまそのシェアについたコメントが目に入ってね。
すんごいの。
勘違いのオンパレードwww
勝手な解釈、エゴの防御、なんか一言言いたい人たちのエネルギーに溢れていてですよ、「おおこりゃいい材料💕だ」と思って、最近エックハルトトールのリトリート動画を観て自分の中に落とし込まれたものを言語化してみることにしたんです、自分の言葉でね。
苦しみや痛みに苛まれている人たちは、そもそも認識が歪んでいる。
歪んだ認知が作り上げた脳内の幻想の中に暮らしているので、
現実の出来事や他人の言動などをありのままに受け取れず、自分勝手な解釈で外側を決めつけてかかる。とにかく傾聴できないし、「相手の真意」を汲み取れない。
自分の認知が歪んでいることに気づかないままに、何か問題があれば他人や外側の環境のせいにして、自己正当化を続け、エゴの檻を強化する。
「問題がある」というのも大概は歪んだ認知が作り出しているのだけど、幻想の中に意識が囚われているので、現実と脳内妄想の区別がつかない。
こんな状態がありふれていて、ごく普通の人に蔓延している。
現実をありのままに認識できている人なんてごく少数で、そのほうが自然なのにもかかわらずマイノリティになってしまっている。
なかなかに凄まじい状況だなぁ、人間界てば👀
私の身近にはまともな人が多いので、時々身近じゃないところで起きてることをのぞくとびっくりするわ。
このイラスト、自分マスター入門講座で使うのに去年ジョージに描いてもらったやつwww
おじさんの脳内がドームに投影され、その映像を現実だと認識しているので、目の前の相手と全く出会えない様子を表してもらいました。
さっきの続き。
脳内妄想に取り憑かれた人の言動は、常に他人もその脳内の妄想ドラマエリアに引き摺り込もうとして力を振るってくる。
取り憑かれてる人の言動…攻撃や誹謗中傷などに反応してしまったら、
その構造を思い出し、自分の反応に気付いて認めて受け容れて、その反応を味わって手放すこと。相手のエゴの餌食になるな。
いやー、これよく体験するでしょ?
身近でいうとね、ジョージがブレイクし始めて有象無象が沸くようになった時、それでもジョージは全部にコメント返したりしてたんですよ。
でも、それをすればするほど分かり合えるどころか分離が深まって疲弊するだけ。
それで、ジョージはコメント返しをやめたんだよね。
もちろん返したいものには返してるんだろうけど。
人の投稿にコメントせずにいられない人っていうのは、ポジでもネガでも相手の反応を得て自分のエゴを強化しようとしてる人が多いのです。
もちろん、ちゃんとコミュニケーションとるつもりの人もいるけど、そういう人はきちんと投稿の内容を読んで真意を汲み取ってくれています。
自分のエゴを増大させるためだけの人は、何が書いてあるかちゃんと読んでないから、トンチンカンなコメントしてくるんだけど、本人は当然気づきません。
とにかく、自分が何か言いたいだけなので、相手が何言ってるかなんてどうでもいいんですよね。ほんの少しでもフックになるような単語が入っていたらそれでOK!
『それ、俺の出番だー!!!!』とばかりに、相手からエネルギーを搾取しようとして、あることないこと妄想の世界を元にすれ違いのコミュニケーションを展開し始めます。
するとね、仕掛けられてる側も反応するんですよ。
そうできてるんです。
よっぽどの覚者じゃない限り反応します。
特にネガティブなやつにはね。
「よくわかります〜!私もそうですぅ💕」っていうポジティブ風のエゴにももちろんおだてに乗ってエネルギー搾取される場合もあるけど、攻撃的なやつの方が反応の度合いが強いです。
で、相手(に寄生しているエゴ)の挑発に乗っちゃうと、まんまと搾取されます、エネルギーを。
さらに、自分のエゴも増強されちゃうのね。
人類はこれを繰り返してカルマを増やし続けてきました。
個人に寄生しているエゴもさ、個人的なものっていうわけじゃなくて、人類みんなで生み育んできたものなんですよw
それが、なんかの因果でそれぞれの個人から噴出してくるのね。
前にとある人が言ってましたっけ、「カルマはお当番」って。
今でこそその言葉がよくわかります。
それまでは、個人のなんかだと思い込んでたもんね、カルマとかエレメンタルとか。
で、とにかく、それが出てくる時に気づいていることが大事になるんです。
反応として出てくるエレメンタルやカルマは、抗い難いエネルギーの動き、衝動として感知できます。
その反応そのものは自分ではないから、観察することができるんです、慣れてくれば。
で、この投稿です。
人々に取り憑いているエゴイスティックなエレメンタル(想念形態)は、
人の恐れ、不安、敵意、絶望、攻撃性なんかをエネルギーにして増大する。相手にして取っ組み合うほどにどんどん大きくなって、さらに他の人に憑依して食い物にし続ける。
憑依されている人の多くは、そのエレメンタルと同一化してるので、どうにも本当の自分なんてものの存在には目もくれない。
気付くためのきっかけは、苦しさ。
もうこんなの嫌だ❗️
って思えたところから、削ぎ落としが始まるよ☆
取っ組み合おうとして喧嘩をふっかけるからね、相手のエゴは。
だから、スルーです。
一瞬反応しても、気付けば応じるか応じないか選べます。
スルーというのは、別の言葉で言えば「受容れる」です。
let go と言ってもいいし、surrender って言ってもいい。
その状況を受け容れる、戦わない。
戦っちゃったら戦ってしまったことを受け容れる。
戦ったことを受け容れられなかったら、受け容れられなかったことを受け容れる。
その繰り返しです。
で、今朝の投稿がこれ。
相手を変えたいという衝動がある時は、自分の中のエゴマインド(エレメンタル)がエネルギーを欲しがっている時。
エゴ的なマインドが作り出す脳内妄想ドラマ(マトリックス)に他人を引き込むことで、その相手からエネルギーを搾取する。
恐れや不安という幻想に彩られたドラマを作り出したエゴマインドは、そこに他人をも引き摺り込むことでエネルギーを得て、寄生している宿主にドラマを続けさせる。
宿主が幻想から醒めずにいる限りエゴは存続できるので、ドラマを続けるためにあの手この手を使う。
それはとても巧妙で、エゴマインドと宿主が一体であるかのように思い込ませ、エゴの存在がバレそうになると宿主に正当化や攻撃性を発揮させることで己を防御するために思考も感情も乗っ取ってしまう。
何かから自分を防御しようという衝動は、エゴマインドの仕業と言って差し支えないかなと。
そんな構造なので、エゴはその存続の危機に瀕するととにかく暴れるwww
抗いがたい衝動があって、防御のための言動を止められない。
その多くは他人を攻撃するという形で現れる。
非難批判文句といった攻撃がやめられない。
当然内側の平安など感じられず、朗らかさや楽しさ、面白さが人生から欠損していて、常に緊張状態にいる。
攻撃するときに出るホルモンがある種の快楽として感じられるので、似た人と集まって何かを攻撃していることを楽しいと勘違いしたりする。
自分自身が攻撃的なので、他者の言動も攻撃のように感じられ、相手の真意をキャッチすることができない。
と、まー、自分もそういうのに寄生されてたことがあるし、プライベートでも仕事でもそういう人をたくさん観てきたのでよくわかります。
自分からエゴマインドを剥がすのに大事なのは、自己認識。
自分の言動や思考感情の動きに気付いていること。
さらにいうのなら、自分の中を流れているエネルギーの動きに気付くこと。
攻撃や防御はまず間違いなくエゴマインドの衝動だから、そのポイントを見逃さないで気付いていること。
相手や状況をどうにかコントロールしたいという衝動もね。
そして、エゴマインドの存在に気付いてもそれに構わず、なくそうとしたり、抑圧したりしないこと。
とにかくよくよく観ておくこと。
そう、ただ見守る感じかな。
これが出来るようになったら、エゴマインドが鳴りを潜め、本来の自分がやっと顔を出す。
そもそもエゴマインドが出てくるのは、最終的には成仏したいから。今は人類が抱えてきたエゴマインドが大きく成仏するタイミング。
だから、あちこちから噴出してるんだよね。
今回、いろんなことを言語化する過程で過去の色々が思い出されました。
人間関係で揉めた諸々、ほぼ全部がこれだったなとw
自分の衝動から始まる場合もあるし、相手から吹っかけられてドラマに埋没することもあるし、、、
ここ数年は、自分でドラマを作るというより、他人のドラマに引き摺り込まれることが何度かあった感じだったけど、もうさすがにほとんどそれもないかなーと。
私自身がドラマに引き摺り込まれるようじゃ、ドラマから醒めるためのセッションなんてできないからね。
ドラマから醒めたら、ドラマの中の人ではなくなるので、ドラマを鑑賞することができるようになります。
そこに囚われない。
ある種楽しめるというか、味わえるというか、深刻さが消えてなくなります。
私やジョージが楽しんでたり、面白がったりしてることを怒り出す人は、ドラマの中に棲んでいて、とにかく深刻なんですよ。
ドラマが現実だと信じているので。
まさかそれが自分の脳内妄想だとは思いも寄らないので、楽観的な人が許せません。
「えー、でも実際にワクチン打って死んだり、コロナ茶番のせいで苦しんでる人がいるじゃないですか!深刻になるなっていう方が無理です!!」
って声も聞こえてきそうですけど、その反応自体がエゴのものなので、話しても無駄なんですw
本人が夢から醒めるつもりがあって、変容のためにお金払ってセッション受けてくれるくらいなら見込みがあるんですけど(そのくらいまで苦しくて切羽詰まってる自覚がある)、
衝動的にSNSにコメントしてくるようなフェイズの方達は自覚とか自己認識というものがないのでこちらの話が全く届きません。
たとえば、そういうフェイズの人たちは、今書いた一文を読んで「何が悪いっていうんですか!?」とか突っかかってきたりします。
私、一言も悪いって言ってないんですよ。
でも、私がそれを悪いと咎めているようにしか聞こえないんですよね。
私は、「そういうことだよ」と事実の説明をするだけなんですが、聞いてる人がそこに勝手にジャッジをつけ、現実を捻じ曲げるのです。
冒頭の投稿についたコメントにも、「喜怒哀楽は必要だと思います」的なコメントがあったんですが、喜怒哀楽は必要ないとか、喜怒哀楽は悪いなんて全く言及していないんですよ、私www
その人には入力すらしていない文字があるかのように見えちゃうんですね。
私がそう発言しているという独自のドラマの中に棲んでるんです。
その人にとっては、その妄想が現実となってるんですよね、ドラマの中で。
「片岡ひろ子は喜怒哀楽は悪だと言っている」って。
そういう勘違い、みなさんもされたことあるでしょう?
私が思い出すのは、子供の頃に父親のハンバーグと自分のハンバーグを比べて、「パパのが大きいね」って言った時に、父がブチギレて、「じゃあ大きい方を食べろ!」って無理に口に押し込んできたというエピソードです。
私は、「パパの方が体が大きいから大きいハンバーグなんだね」っていう他愛もない事実を述べただけだったんですが、父の方はそれを不平不満と受け取ったんでしょうね。
父の中に埋め込まれている観念や欲といったエレメンタルが勝手なストーリーを作って目の前の子供を裁いたのですよ。
これはすごくわかりやすい例だと思いますが、一般的な人の日常の中にゴロゴロ転がってますよ、こんなすれ違いコミュニケーション。
私とジョージの間にも山のようにありました。
今でこそ減ってはきたけど、まだ時々は出てきます。
キャラクターとしてお互いのバックグラウンドが違いすぎるからね、前提が違うと話が噛み合わないのはよくあることです。
自分の中に良し悪しの観念があると特にそのすれ違いは顕著になります。
で、そこにエゴが寄生していてエネルギーを搾取しようとしたらもう大変。
言葉を尽くしても真意が伝わりません。
そういう人とは、いっとき距離を取るのも大事かなと、距離をとってきた人もいます。
受け容れるというのは、その相手を好きになるとかいうことではなくて、自分の内から湧いてくること、目の前で起きてくることを受け容れるのですから、
コミュニケーションが取れない相手を好きになるのではなくて、コミュニケーションが取れないことを受け容れて距離を取るのでいいんです。
最初は受け容れる対象が分からなくて、トンチンカンなことをしがちだけど、やってるうちにわかってきます。
この「受け容れる」というある種の奥義は波動調整®️講座の3rdで具体的に扱います。
先日開催したオンラインワークショップでも取り扱ったので、興味ある人はご覧ください。
まもなく動画販売終了です。
で、この記事に関する後日談書きましたので、よかったらご覧ください。
[…] 昨日のブログ、ジョージがシェアしてくれたこともあって、反響たくさんいただきました。 […]