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治療家、セラピストをやめたわけ

本質へ還る旅をサポートする 受容・削ぎ落とし・サレンダー・エゴに関するスペシャリストで波動調整®創始伝道者片岡ひろ子です。

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治療家やセラピスト、ヒーリングというのを看板から下ろしたのは、依存心があるままの人を治しても、結局また症状や問題を繰り返すだけだって良くわかったから。

 

本当に辛い人がいっとき楽になると自分と向き合うきっかけにはなるから、ヒーリングやら治療的サポートが大事なこともあるけどね。

 

私はやらない。

 

私は生き方、、、というか、在り方を整えることを伝えるスペシャリストなので、何かを治すことを主眼に置いてません。

 

治す方が人気あるし、稼げるのも知ってるけど、そういうモチベーションでライフワークに取り組んでないし。

 

この投稿3年前のだけど、今、もっともっと大切だなって感じる。

 

噛み締めて読んでみてください。

 


 

つい数日前、名前と年齢、住所とともに

「脳梗塞の後遺症の軽減をお願いします」

的な一文が書かれたメールが届いた。

きっと、個人セッションの依頼なのだろうと思ったけど、明らかに症状の緩和を希望しているので、私が提供するセッションは相手の希望に沿わないなと、、、

で、事務局からセッションについての確認をして、医療行為でもないし、症状の軽減をお約束するものではないとお伝えしたら、

「すいませんお断りします。」

とだけ返事があった。

それでよかったなぁ、、、と、ある種、ホッとした。

野口先生の言うような「健康」を生きるには、それなりの覚悟というか、決意が必要だし、そのつもりがない人が私のセッション受けても、ある種辛くなるだけだろうからね。

【病気を治すこと治療にあらずして 自ら病気が治るような体や心になること何よりなり】

つまりは、自分の生き方をあらためるってことだから、受動的な態度ではなく、能動的に自らを生きることを志すことが本質的な治療なのですよね。

1回のセッションでそれを伝えられることもあるけど、なかなか難しいので、道場だったり、講座だったりなんだよね。

 

《野口晴哉著 偶感集より》

治療ということ

前文略

治療ということ 人を活かすことなり

人を活かすということ 同情や慰安によっては為し能わざるなり

痛みを制し、苦しみを和らげるもまた一時のことにして 

人を活かすということ その活きる力を自覚せしめ 活き活きと 苦しさ痛さに耐えしむること第一なり

もともと病症といえるもの 人体の健康復帰運動にして これを制して治療ということ無きなり これらの病症を制することをもって治療なりと考えているは 臆病なる人々の錯覚なり

病気を治すこと治療にあらずして 自ら病気が治るような体や心になること何よりなり

胃のはたらきも 心臓のはたらきも 心の動きに応ずるなり 治療に心のこと忘れるは 人の生きるを知らざるなり

病気の恐ろしきこと知らば 恐ろしくなきこと悟らざるべからず 怖さを知ることと 脅えることとは異なるなり 火は恐ろしきなり 虎も獅子も恐れるなり 然れども 人は鼻先の煙草にその火を付けて楽しむなり

病気の恐ろしさ知りて これを用いること知らざるは 未だその性質を真に知りたるにあらず

 病気の恐ろしさなくなるまで これを見つめるべきなり 病気を見つめ それに脅えざるに至りて 治療ということ為すを得るに至るなり

熱が出ても病菌がついているなら当たり前のことなり 悪しき食物を食して吐くも当然のことなり これを病気といわば 蛇が皮を脱ぐことも病気なり 蚕の眠ることも病気なり もっとも病気ということかくのごときものなり

それを病気と認めるところに病気があるなり

それ故 病気を治療するということ 心を定むること第一なり 病気を病気ならしむること第一なり 病気を病気ならしむる心をまず去らしむるなり

体の眠れるはたらきを呼び起こすことその次なり しかして病気は自ら治るなり 病気の治りゆくを手伝うはその次のことなり

今の人 このことを忘れて まず病気を治さんとなし 自分の力を発揚する前に 薬や機械の力を借りんとするなり

しかも 自分に治療するはたらきあるを忘れ 薬や機械の下積みになるなり 病気にもまた組みしかれ 治らないままに苦しむも また致し方なきなり


 

 

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