今、ふと思い出したこと。
昨日、実家にいた時、普段は観ないテレビがついていて、
歌手が自分の持ち歌を歌って採点されるという企画をやっていたわけですよ。
なんてバカバカしいのかなとw
その人の歌なんだから、その人の歌い方が満点に決まってるじゃん。
てか、私たちが歌うカラオケだって、自分が歌って、そのプロセスに満足したのなら、機械に判定される必要性なんてなくて、、、
って、もちろんゲームとして面白いこともわかるし、楽しんでやる分にはいいんですよ。
でもね、気付かないうちに評価の基準が外側にできちゃうのはヤバいと感じるのですよ。
なんでそのことを思い出したかっていうと、今、生理の管理をするル○ルナっていうアプリをあけたらさ、
「1/2(月)のあなた 17/20点」
って表示されてたわけ。
バカ言っちゃいけない。機械に何がわかるのかと。
そもそも体調は自分自身が感じればいいものだし、過去と比べるようなものでもないしね。
これもねわかるんですよ。生理の周期と自分の体調の傾向を知ることで見えることもあるっていうのは。
でもね、やっぱりヤバいと思うわけです、機械に採点されることを鵜呑みにしちゃ。
本質を生きる界隈の人はそんなの鵜呑みにしないだろうけど、他人からの評価で自分を測ってきてしまった人たちは機械の評価にプログラムされてそうなんだと思い込んでしまわないとも限らない。
外側から見た自分というのは、どこまでいっても幻でしかなくて、自分にとっての真実は自分で感じる自分の体験なのです。
そういうわけで、次回の自分マスターゼミは自意識過剰/内的考慮と外的考慮にしようと思います。
他人からの目や外からの評価に一喜一憂し、「自分が生きる」ことが疎かになっていませんか?
どうして自意識過剰になってしまうのかを紐解きながら、どのような観点をもては自然な自分で人生を送っていけるのかを探っていきます。
https://resast.jp/page/consecutive_events/8277
この写真のジョージの高い高いをね、腕が上がり切ってないから65/100点とか言われたってバカバカしいのはわかりますよねw
ジョージとなな子が純粋に嬉しくて楽しいんだからそれでいいじゃないですか。
そういう当たり前の感覚を他人の目を気にすることで失くしてしまった大人たちだからこそ、自分のしたいことがわからなくなってしまうのですよ。
そこんとこ、リハビリ必要です。
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