「限界を超える」
昨日のニューアース読書会でのテーマ。
「限界を超える」って聞いて、人はどんなイメージを持つかというと、
きっと、何かを変えることだとイメージするんじゃないかと思うんだよね。
たとえば、能力を上げる的なこと。
出来なかったことを出来るようにするという限界突破を外的なモノの中でなんとかしようとするというかな。
老いに抵抗してアンチエイジングの技術を高めたり、
医療で病気を撲滅して寿命を伸ばそうとしたり、
乗り物のスピードやエネルギー効率を上げたり、
建物の構造をより強くしたり、
CPの演算処理を速くしたり、記憶容量を増やしたり、
業績を上げたり、
体重を増やしたり減らしたり、
脱毛したり増毛したり、
成績を上げて学歴上げたり、
収入を増やしたり、
いいね増やしたり、
チャンネル登録者数や視聴数を増やしたり、
コスト削減したり、
開運したり、
色白になったり、
毛穴減らしたり、
なんだりかんだり、、、、
とにもかくにも、外側のモノ的な世界を変えようとすることを限界突破と思っているんじゃないかと。
もちろんそれはそれで、したい人はしたらいいんだけど、なんでそっちの方向に向かうのか?という根っこのところが大事でね。
私たちのマインドが世界は物質・モノだと思い込んでしまっているという土台があるよね、まず。
だから外側のモノ(身体や身体的能力すらもモノ)を良くすれば、私たちもより良くなるんだと思い込んでいる。
でも、振り返ればわかるよね。
こんなにモノも増えて、能力も上がり、便利になって、物理的な苦労は減ったはずなのに、幸せを感じる人がそれに比例して増えたのか?
医療が進んで病気は無くなったのか?
経済至上主義でみんな豊かになったのか?
もっともっともっと‼️という流れを見る限り、どうやら人類は満足していないのではないかなと思うわけです。
一方、限界を超えるというのにはもう一つの観点があってね、内的に超えるということが出来るのです、私たち。
片岡ひろ子的に言うなら、それは「受容れること」です。
そのままをよしとする。
限界そのものを受容れてしまうこと。
限界もそのままも、すでにそれはそこにあるものだから、受容れるしかないんだもん。
そこにすでにある事実は変えられない。
でもね、それを受容れたならば、次の瞬間はどうなるのかわからないのですよ、まだ起きてないのだから。
現状は受容れた上でどうしたいのかに向かう。
現状に拒否抵抗して、それを変えようとするのとはまるで別のエネルギーなんですよ、それって。
現状に囚われてしまっては、その周波数帯の現実から移行しづらいのです。
だから現状は受容れておいておく。
それはさておき、望む方向に意識を合わせる。
その方がすんなりチャンネルが変わります。
受容れると垂直が立ち上がるのです。
つまり、受容れることで本質に触れることができるのですよ。
人生という壮大な実験場で限界を超えていくという体験を外的にし続けて来た人類も、そろそろ内的な超えかたを学んでもいいんじゃないかと思うのです。
波動調整®︎講座の3rdでは、具体的に身体のワークに落とし込みながら「受容れる」を扱っていきます。
頭の中だけだとわかってるつもり、出来てるつもりになるからね☆
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