「自分というキャラクター」 の性質がわかるとね、
あぁ、カルマの法則ですら引っ掛けだったんだなと。
その「キャラクターの性質」というのは、、、
受け取り専門
ってことです。
この相対性の世界は結果なので、受け取る以外ないのです。
原因の世界は垂直にしかないので、
キャラクターからはそれはどうしたっていじれない。
もちろん、垂直(本質)にリーチできれば それはキャラクターではないので
原因の方に手を加える側にも回れるんだけども、、、
だから!
キャラクターとしての片岡ひろ子は、受け取るしかないのだなと。
波動調整で言い続けている、「起こることを許す」ってやつです。
受け取るだけでいられなくて、
なんとか問題を解決しようとして、ワークしたり、悔い改めたり、
いろいろやってしまう時もそれはそれでOKでね。
「そういうことをする」というのを受け取ってるんだなと。
悲しくなるのも、イライラするのも、そうなることになっている。
抑圧するのも、罪悪感を抱くのも、そうなることになっている。
カルマとして因果律を体験するのも、そうなることになっている。
でね、カルマの法則ってね、
因果関係が観察できないくらい前のことも降ってくるでしょ?
前前前世の行いが今の病気を引き起こしてる、、、みたいな。
もしもカルマの法則が今まで言われてきたような教育として働くのなら、
それって不親切だよなと思っていたのですよ。
蒔いた種をすぐに刈り取ることになるなら、アホでも
「あ、やっちゃったな、、、」ってわかって、学べるけど、
その間、300年とか経ってるとわかんないじゃんね?と。
でも、その謎が解けたのです!www
キャラクターは受け取り専門だから、とにかく受け取るんですよw
逆に言えば回避できない。
回避しようとしても無駄。
「問題は解決するな」にもちゃんと書いてあった。
『私たち(キャラクターとしての)は、問題を解決できるようにはつくられていない。』
って。
そうだよ、この世は結果の世界なんだもん。
「火をつけたら燃えました。」
って、確かに因果関係があるけど、
じゃ、「火をつけた」は原因のように思えるかもしれないけど、
それそのものが結果なのですすでに。
原因の世界から立ち現れた「結果」なのよ。
私たちの行為や思いや感情や欲望。。。
エレメンタルと言われているものだけども、、、
それが沸き起こること自体、すでに結果であって、
キャラクターには操ることができない次元。
だから、キャラクターとしての自分は、それをやりきることが仕事なのです。
もちろん、カルマを積まないようにと、
エレメンタルを手放そうとしてもがいてもいい。
いい人になろうとして努力してもいい。
正解だけを選ぼうとして四苦八苦していい。
そうしようとしちゃうのも、
それがキャラクターにもたらされた結果なのよ。
で、そんなことを味わった結果、次の展開(結果)がやってくる。
キャラクターが原因にリーチできると思い込んでいたのが、引っ掛けだったのです。
原因と結果の法則があるからといって、
キャラクターの意識のままではそれは使えないのです。
だから、キャラクターとしては安心して「そのまま」を生きてください。
「等身大の自分」をね。
エゴったらエゴるんだし、
自信がないなら自信がないんだし、
身体が弱いなら弱いんだし、
なまけちゃうならなまけちゃうんだし、
それが何か問題?
So what ?
なんの問題もないんですよ。
キャラクターとしてその役をやることになってるだけだから。
それをしっかりやりきってください。
もうシナリオは書かれていて、それを受け取るのが役割です。
舞台には悪者も必要だし、被害者も加害者も必要だし、
ありとあらゆる登場人物が必要なんですよ。
その中の一人があなたというキャラクターなんです。
他のものなろうとしなくていい。
役を全うしてください。
もちろん、
「他のものになろうとしてあがく役」っていう設定もありだけどねw
大いなる教えとは、
あなたはすでにあなたがなり得るところのものである
これだ
これをつかみなさいあなたはすでに目的地であるのだ
これに気づきなさい
まさにこの瞬間
あなたの天命は成就され得る
osho
そして、その上で、キャラクターではない「わたし」を発見して行ってみてください。
大事なのはそこですから。
「問題は解決するな」をハラに落とす!
ぜひ読書会にもご参加ください💕
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