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軽い波動、重い波動、勘違いしてない?
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ごきげんよう、片岡ひろ子.です。

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軽い波動、重い波動

 

前回の記事、「苦手なことと向き合ってますか?」と関連するんですけどね、先日、とあるブログを見ててふと思ったんです。

 

そこには、こんな風に書いてありました。

 

今のままの重い波動で生きますか?

それとも軽い波動で生きますか?

 

スピっぽいブログとかで、よくある感じの物言いですよね。

この文言を見て、どんなことを思いますか?

どんなことをイメージしますか?

そして、これから私が何をお伝えすると思いますか?

 

読者歴の長い人は何となく察しがつくだろうと思うのですけど、、、、

 

この文言自体は、まー、どうにでも受け取れるので、それ自体に良し悪しはないんですよね。

 

多分、多くのスピかぶれの人たちは、もちろん、軽い波動で生きる〜♫って言うだろうと思うんです。

もちろん、私もです。

 

でもね、そこには前提が必要なんですよ。

 

前者の人たちは、おそらく受け容れがたいものを避けていくこと、苦手を無視すること、嫌いなものを排除することで軽くなろうとしてるんじゃないかなと。。。

 

でも、そうじゃない。

本質に還るために必要なのは、どんな状況だろ雨と、それに影響されずに自分自身が軽い波動で在るということです。

 

軽い重いって言うと解りにくいかもしれないけど、速いか遅いかってことです。

 

拒否抵抗して引っかかって、執着して留まるのか?

それとも、外で起こることに拘らず、受け容れて手放して進んでいくのか?

 

その違いが非常に重要だよなぁと。

 

周りを排除して軽くなったような気になってもね、それ、何も変わってませんからw

何も削ぎ落とされていない。

 

苦手なことやヒドイこと、嫌いなことに見舞われても、葛藤してそれを超えていく体験をしていくことでしか、私たちの余計なものは削ぎ落とされないんですよ。

 

だからね、引っ掛けなんです。

 

簡単に状況が良くなったり、寝てるだけで誰かが何かを削ぎ落としてくれたり、好きなものばかり引き寄せたり、、、

 

何の体験も気づきもなく、そんなことになったって進化も成長もあったもんじゃありません。

 

その考え自体が古い!とかいう人がいるらしいけど、私はそうは思いません。

 

本質的なことというのは、時代や状況で変化しないもののことを言うのです、

時代によって、新旧によって変化してしまうようなものは本質じゃない。

 

これを読んでるみなさんも、日々、たくさんの葛藤があって、悩んで、苦しんで、、、辛いことたくさんあると思います。

 

でも、それが糧なんですよ、本当に。

 

それを超えることができれば、そのことではもう苦悩する必要がなくなります。

 

超えないままに、避け続けていても、本当の意味での強さ、しなやかさは手に入りません。

しかも、避け続けることは不可能です。

 

そんなことも含めて、4月のセミナーでは色々お話できたらなと思っています。

 

 ⭐️4/21(日)【特別セミナー&フォローアップ】@板橋/講師 波動調整®創始者 片岡ひろ子

 

その前のひろ子の部屋もお忘れなく。

⭐️3/13The true natures ミーティング@バーチャルひろ子の部屋 vol.19

 

客観的な良心とは?

 

先日、フェイスブックにこんな投稿をしました。

 

5年前の投稿とちょっとシンクロしたのでメモ。

しばらく前からグルジェフ の「ベルゼバブの孫への話」を読んでいる。

実のところ、他の著作を手に取ったのだけど、読み始めたら、そこに書いてあったのです、最初から全部順番に読め!とw

仕方ないのでグルジェフが後年著したシリーズの最初から読むことにして、、、

すると今度はこの800ページくらいある本を3回は読め!とw

寝る前の少しの時間で読み進めているので、今やっと300ページくらい。造語が多いので、すごく読みにくいwww

あ、で、本来の3センター生物(人間含む)が本来有しているはずの聖なる衝動(信仰、愛、希望)について書いたパートでね、とにかく地球に存在している3センター生物はこの3つが異常な形で形成されてしまっていて原型をとどめていないのだと言うのですよ。

特にひどいのが「希望」だと。

ちょっと引用すると、、、

===

この衝動はついにきわめて歪んだ形で彼らの存在全体に適応してしまったが、そればかりか、聖なる希望という衝動にかわって彼らの内部に新たに形成されたこの有害かつ奇怪な<希望>は、今ではすでに、彼らの内で信仰、愛、希望という真正の衝動を引き起こす因子が生じない主因となっている。

この新たに形成された異常な希望があるために、彼らは常に何かを望む。そのために、外部からの意図的な力で、あるいは彼らの内部で自動的に生じた全ての可能性は彼らの内部で麻痺してしまう。

===

本来その可能性が、私たちを本質に導くはずのものなんだけど、常に何かを望むことでそれをキャッチできずにいるというお話ですな。

本質からずれてしまうのは、私たちの中に、虚栄心、自己愛、自負心、自尊心、虚勢、空想、自慢、傲慢、高慢、狡猾、羨望、憎悪、偽善、軽蔑、卑屈、ずるさ、功名心、二枚舌などなどといわれるエゴイズムが生じてしまったがゆえだとベルゼバブさんは語ります。

望み、欲望、希望、欲求、ビジョン、衝動、目標、ゴール、、、これまでいろいろと探求して来たけど、似ているようで全然違うんだよ。

異常で奇怪な希望と、真正で聖なる希望は違うもの。

まだまだdo have beが蔓延ってるよなぁ、世間には。

わたしの中には、、、、大分なくなったんじゃないかな、、、いや、そもそもわたしの中にはそんなのなくって、キャラクターとしての片岡ひろ子がいろいろ握っていたことがあったんだよね。

キャラクターと自己同一化しなくなると、奇怪な希望は無くなるのかもしれないね。

 

 

そういうわけで、私たちの中には、真性なる愛や信仰や希望がなくなってしまったのだとして、、、それこそ、本質的な存在に還る道はないのでしょうか?

 

ベルゼバブ曰く、そんな奇形になってしまった地球人にも「客観的な良心」は潜在意識に備わってるのだと言います。それを引き出せば、なんとか3センター生物としての本来の姿に戻れるかもしれないと。

 

今、世の中に蔓って居るのは、誰かの都合による主観的な善悪や道徳みたいなものがほとんどですが、客観的な良心とは何なのか?

 

自分なりに色々と考えてみました。

 

結論は、せっかくなので、次回お伝えすることにするので、ちょっと考えてみてください。

 

ヒントとしては、客観的っていうのを絶対的って言い換えてもいいのかなと。

時代や場所によって変わらないこと。

 

ちなみに、現代の世の中では、その良心を踏みにじるようなことが良きこととして公に行われまくっていますけどね、、、

 

私たちの中にある客観的な良心はいつになったら目覚めるのかなぁ。。。

と、世間には期待もせず、自分自身に関して、その良心に従って生きているだろうか?良心の呵責を麻痺させていないだろうか?ということに意識を向け日々を送っています。

 

よかったら、あなたの考える客観的良心についてご意見お聞かせくださいね。

次回の記事で紹介させてもらえたら嬉しいです。

 

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