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依存症をやめるには

過去のブログ記事を転載します。

 

記事中の名古屋での脱幸福論セミナーと東海高校でのパートナーシップについての講義は動画で配信予定です。

準備ができたらお知らせしますので、メルマガをチェックしていてください。

 


 

ごきげんよう、片岡ひろ子です。

 

まず最初に、来週末の名古屋セミナー【脱幸福論】のお知らせを。

 

波動調整を学んで、深いところまで日々の生活の中で実践してくれている藤澤すみれちゃんがこんな紹介をしてくれました。

 

『そろそろ幸せになるを超えた先の次の段階に進んでもいいのではないでしょうか?』

波動調整®︎創始者
ぴーちゃんこと
片岡ひろ子さんの
名古屋セミナーは
いよいよ来週2/25()ですよー。

『世の中ではしあわせになるためのツールが溢れています。

それは「自己啓発」や「スピリチュアル」などを称しつつ
本来の宇宙の方向性からは見当違いな理論や情報が出回り、
多くの人を惑わししあわせというミスリードを起こしています。


想うがままに現実を創造できるというのは幻です。
マイナスをプラスにすればいいというのは嘘です。
波動を高めれば世界が好転するというのは勘違いです。


そういった事の先にしあわせが存在することはありません

そもそもしあわせを目指す必要が本来的にはありません

私たちの人生はしあわせになるためにあるのではありません』

いろんな人生観や世界観が
もちろんあっていいけど
『起こることを許す』という
波動調整®︎のスタンスが
私はめっちゃ好きなので
その世界観に触れてもらえたら
嬉しいなーと思ってます。

ぴーちゃん素敵やし
話オモロいし
ぜひご一緒しましょー!
詳しくはリンク先をぜひ♡

 

2/25(日)【特別セミナー】脱・幸福論@名古屋/講師 波動調整®創始者 片岡ひろ子

 

ぶっちゃけ、私の伝えることってちょっと厳しいし、楽じゃないし、誤魔化してたり嘘ついてる人はめちゃ痛いし、大して人気ないんですよw

 

本当の自分から目をそらすために仕組まれた数々のカラクリを見破ることが必要になったタイミングの方はぜひお越しください。

あ、もちろん、興味本位で軽い気持ちで聞きに来てくれるのでも大歓迎です!!

 

ぱっと見優しくない、大いなる深い愛を持ってお待ちしています☆

 

 

そして!

 

名古屋に行くきっかけをいただいたイベントはこちら。

 

東海高校 土曜市民公開講座 第32回サタデープログラム

 

のべ3000〜4000人くらいの方が受講するそうです。

私の講義を聴いてくださる方は、申込不要ですが、

事前にこちらからお申込みをしておいてくださると人数なりの教室が用意してもらえるそうです。

 

セッション会は残席1名、懇親会は残席少々、新しい出会いを楽しみにしています☆

2/24(土)波動調整®特別セッション会@名古屋

2/24(土)波動調整®懇親会@名古屋

 

 

さて、、、、

 

Facebookをしてる人はご存知かもしれませんが、毎日、過去のこの日って言うのが上がってくるんですよね。

 

そこで、こんな投稿が上がってきました。

 

===

 

2017217 

 

何かを手に入れて齎される感情としての喜びは、その前の渇き(不足感)とセットだよなぁ、とふと。

常態としての喜びとか幸せはそれを必要としない。

どっちが良い悪いでなくね。


うぎゃー!と喜びたいときはその前にセットアップしないといけないのだよね。うぎゃーとなるための起伏の激しさを出すために一度波を凹ませる。

大波を起こすには上と下の差が大きくなければいけないからさ。

それはそれで高揚感あって気持ちいいものだよね。

でも、それに飽きたらその次元を手放してもいいんだよぉ~っの顔?w

 

===

 

で、1年後の私がその投稿を見て思ったのがこれ。

 

===

これをみてガボールマテのスピーチを思い出した。

 

依存症の患者に限らず、人は皆、餓鬼のようなところがあって、外側の何かで自分を満たそうとしている。

 

大量消費社会や権力を求める構造があるのも依存症と同じメカニズムであると。

 

そもそも依存症患者はなぜ生まれるのか?それは自分の痛みを忘却するためなのだが、その痛みを生み出した側の人間もまた痛みを持ち、それらを薬物やアルコールではないかもしれないけれど権力を持つことで隠そうとしていると。

 

本質は外側になくて、ドラマの中にもそれはないのだけど、そういうシナリオの中に生まれるとドラマこそが本物だと思ってしまうんだよね。。。

 

そのドラマのカラクリを見破れば、自分の内側に本質があったことが観えるのだけど、ドラマがあまりにもリアルだし、その中の登場人物としての自分に深く深く同一化してしまっているからそれ以外の自分の状態があるなんて信じられない。

 

で、そのドラマの中の自分はあまりにも辛すぎて、ドラマの中でさらにそれを誤魔化しに走ってしまうからマトリックスはさらに複雑になってしまうんだよね、迷宮みたいに。

 

依存によって得られる幸福感や満足感は一瞬で、すぐまたドーパミンを出すような刺激が必要になる。

 

絶対的な安心感はドラマの中の「等身大の自分」と対峙し、その自分を観ている自分の方が本物だって気づくことで得られるようになっていく。

 

ドラマから乖離せず、でも、ドラマに埋没せず、ドラマと対峙しながらそれを観ている自分の存在に気づいていくこと。

 

それをしていく人が増えていくことで、集合的に抱えている痛みを解放していくことができるんじゃないかなって感じてる。

 

何度かオススメしてるけどまだ観てない人はどうぞ。

 

依存症の自覚がある人もない人も。

 

20分くらいです。

 

https://youtu.be/XzvF89TXio4

 

===

 

彼のスピーチの内容は深い洞察によるもので、とても素晴らしい内容なので、ぜひ聞いてみてください。

 

で!!!

 

こういう内容を聞くとね、

 

結局幼少期の環境によってトラウマが作られて、それによって悪影響が現れる。。。

だから、トラウマを生まないように子育てしましょう!!

 

みたいな論調になりがちなんですが。。。。

 

 

そうじゃない、そうじゃないんですよ〜〜〜。

 

私の人生の気に入らない部分は、過去のトラウマのせいだ。

 

というのが引っ掛けなんです。

 

「トラウマをなくそう!」っていう号令をかけている人は本人がまだ引っかかったままなんだろうなぁ。。。

 

前回の記事でお伝えしたエゴが貴方としてなりすまし続けるための仕組みなんですよ、そう思わせておくことが。

だから騙されないでください。

 

世の先生と言われるような方々がまだまだ号令かけてますから、そう思いたくもなっちゃうけどね。

 

 

もちろん、ドラマの中では「トラウマを受けた」というのはもっともらしい現実です。

 

「それは幻です!』とは言いませんがw、、、でも、そのエゴが創作、演出したドラマをちょっと離れたところから観たらどうでしょう?

 

「トラウマを受け、何かを抑圧したり、依存したりして生きることになってしまった。」

 

と、カラクリに気づいたつもりでここでもっと奥までを観ることをやめてしまうと、エゴのなりすましは終わりません。

 

そのトラウマを受けるという劇中の設定は、エゴのなりすましを赦すための設定でもあり、

でも実は、その嘘を見破って魂を進化させるための設定でもあるんです。

 

前回の記事で言うところの、人生ドラマを分離のために使うか、自分のかけらを見つけ出すのに使うかの違いですね。

 

 

もういっちょ。

 

これ↓、周りの人がいい記事としてシェアしてたのですが、読んでみてどうですか?

 

「あなたが苦しいのは社会システムが狂ってるからです」東大教授・安冨歩の発言になぜ共感が集まるのか

 

安冨先生の言ってることは、まー、共感できますよね。実際にそうだと思うし。。。

 

でも、そこで終わっちゃうとアウトです。

 

記事の最後にこう書かれてるんだけど、、、これ、本当?

 

”多くの人が共感したと思いますが、しかしなぜ「苦しさの源」は変えられないのでしょうか。これに対するひとつの答えは批判意見にもあったように「社会システム」という大きな構造に対して、個人の力ではどうすることもできない、ということでしょう。”

 

それこそ、なりすましエゴちゃんの思うツボでしょう。

社会のせいにしてるだけでは、何をしようとも自分もその構造を支える一人から脱することはできないんですよ。

アンチ社会というスタンスでい続ける限り、その社会をより強固にする存在でしかないんです。

 

じゃー、どうすんのか?

 

なりすましを見破っていけばいい。

 

おかしい、狂った、まともではない社会だと感じているのに、なんでそこで親のポケモンのままでいるのか?

自分自身、嘘ついて誤魔化して自分でポケモン作って、そのポケモンとして生きてるのか?

 

社会のせいにするだけでなくて、自分が怖くて避け続けてきた、観たくもなかった弱さや欺瞞を自分で暴く。

 

そうしていかない限り、親のせいだー!社会のせいだー!と言って自分をごまかし続ける人生は終わらないのです。

 

実際、暴いてしまうと、何がそんなに怖かったのかが不思議で笑えてくるのですけど。。。

 

その恐れはエゴのコアですからね。

本当の自分のコアじゃないの、そもそも。

 

なのに、それに乗っ取られて人生まるまるそのカラクリを隠し続けるために費やしてしまっているという。。。

 

話としてはわかっても実感としてそのカラクリを暴くには、エゴの狡猾さを上回る洞察力が必要です。

 

その洞察を得るお手伝いは、道場、個人セッション、ひろ子の部屋、各種セミナーにてさせていただきますので、

必要を感じたらどうぞご利用ください。

 

カラクリを見抜くことで、「苦しさの源」は力を失います。

 

あ、魔法ポストもそのための一つですので、ぜひご利用を。

 

その源にリーチできる人は少ないのかもしれませんが、私はどこかで信じていたいんですよね、まだ。

きっと、みんなそうできるって。

 

だから、表面的に優しいことができません。

基本は見守ってるけど、ややもすると鬼コーチのようでしかいられないんです、私。

準備のできた見込みのある人にはね。

 

最近は、時期を迎えた人が周りに何人も現れて楽しいですよ、本当。

 

花にそれぞれ開花の季節があるように、人にもあるんでしょうね。

開花期を迎える人たちには、開花に必要な水や日光のような役割をしますので、どうぞ使ってやってください。

(芽出しとかももちろんお手伝いしますよw)

 

言い方を変えると、もう終わりにしていいドラマの役を演じ続けている人に、

「もうその役、終わっていいんだよ!?それ劇だったんだから、目を覚ましてちょうだい。」っていう役をやります、私。

エゴやカルマの作った舞台を降りて、あなたの舞台を始めてくださいってお伝えします。

 

 

さてさて、明日は待ちに待った東京ドームの蘭展に行く日!!\(^o^)/

開花期を迎えた蘭達に会うのを楽しみに行ってきまーす☆

 

 

そこここに春がどんどん訪れていますので、早春の日々をどうぞお楽しみくださいね!

 

 

 

 

 

<イベントなど>

3/13The true natures ミーティング@バーチャルひろ子の部屋 vol.8

【動画講座】本当の自分を生きるための脱引き寄せ、削ぎ落としのススメ

【動画講座】本物の創造と本質の自分

2/24(土)波動調整®特別セッション会@名古屋

2/24(土)波動調整®懇親会@名古屋

2/25(日)【特別セミナー】脱・幸福論@名古屋/講師 波動調整®創始者 片岡ひろ子

【波動調整】本質を生きるとは?私たちは何者でどこへ向かうのか?片岡ひろ子【動画講座】

【片岡ひろ子】全ての問題を消滅させる「意識」の変え方【動画講座】

【過去分動画販売】バーチャルひろ子の部屋 vol.1 20170802

【過去分動画販売】バーチャルひろ子の部屋 vol.3 20171004

【過去分動画販売】バーチャルひろ子の部屋 vol.4 20171109

【過去分動画販売】バーチャルひろ子の部屋 vol.5 20171207

【過去分動画販売】バーチャルひろ子の部屋 vol.6 20180110

【過去分動画販売】バーチャルひろ子の部屋 vol.7 20180207

素粒水浄水器購入申込

 

 

子供たちは皆誰しも呪詛を受けて大人への道を歩んでいく

過去のメルマガの記事を転載します。

===

ごきげんよう、片岡ひろ子です。

 

まず最初にひとつお知らせ。

 

岡山で波動調整セッション会開催!
お近くの方はなかなかない機会にぜひ☆

2/16(金)波動調整®セッション会@岡山

 

 

岡山はご縁があって講座をさせていただいたこともあるんです。
習ったことのある人も復習兼ねてぜひ遊びに行ってみてくださいね!

 

その他の波動調整関連イベントのスケジュールはこちら

 

名古屋のセッション会は残席わずかですので、迷ってる人はお早めに。

2/24(土)波動調整®特別セッション会@名古屋

名古屋は私もまいります!

 

 

 

さてさて、先日開催したひろ子の部屋、毎度のことながらとても面白い時間となりました。

面白いというのは、私の場合は興味深いっていうニュアンスが強いのですけれどもね。

 

今回お届けした内容は、、、

・人間関係の極意?

・私は正しい、私をわかってよ、というエゴの罠

・現実はパラパラ漫画?

・お金や諸々への恐れとどう付き合うか?

・実は迷う必要はない、どっちも一緒

 

などなど盛りだくさんでした。

 

後日視聴でも大変楽しめる内容だと思いますので、ぜひご覧くださいませ。

 

★【過去分動画販売】バーチャルひろ子の部屋 vol.7 20180207

 

プレゼント付きアンケートはまだ実施中ですので、ご協力お願いいたします☆

★ひろ子の部屋 特別アンケート

 

個人的におしゃべりしたいという方には、個人セッションかランチミーティングがオススメです。

 

★片岡ひろ子とランチミーティング申込みフォーム

★個人セッション(遠隔、対面お選び頂けます)

 

 

そして、次回のひろ子の部屋はこちらでーす。

The true natures ミーティング@バーチャルひろ子の部屋 vol.8

 

 

と、、、、

 

最近の私の投稿がココロに刺さりすぎるというコメントをもらいましてね。

こちらでもシェアしておきますね。

 

ここ数日のツイートより。

===

自分の知らない見たことのない聞いたことのないような物事を一旦受け容れ、考察、洞察を重ねること、それが知性ではないかなと。逆に自分の観念、信念、経験に反する物事に対し、即座に拒否反応を示す態度こそ無知蒙昧の現れと感じるので、違和感があるものこそ、まずはその違和感を疑うのです、私は。

 

分離して分離してバラバラになって個々かがしっかりと確立されたならば、そこから本当の統合が始まる。自我が完成してこその他者との解け合い。自我の輪郭を持ったまま境界が解け始め、そこに本当の世界が立ち現れる。

 

自己犠牲や我慢をすべしという呪いにかかったとして、その呪いの元を呪っても仕方がない。呪縛から逃れるには自分で自分の内側と対峙する以外に道はないのだから。それに、呪いをかけてくるのは自分以外の全ての他者だから避けようがないことなのだよ。

 

自分らしく生きよう!という号令ですら、他人の言葉を借りただけならそれは呪いと変わらない。自分の経験を通して呪いを自分のものにしていくのか、その呪いを破棄するのかどっちかでしかない。子供たちは皆誰しも呪詛を受けて大人への道を歩んでいく。

 

そして、その呪縛が自分を切り拓くために必要だったと、いずれ分かる時が来る。それまでは恨んで怒って罵倒しても構わない。やり切ったらわかるでしょう、それでは自分は何も変わらないってことが。

 

do have beではなくて、be do haveを実践していて、なかなかdoが湧いてこなくて焦っている人は、焦る自分を眺めつつ、ひとまず目の前の日常を丁寧に生き、それ以外は何もしないことをしていてください。日々丁寧に生活するだけで、まーまー暇はつぶれるからね。

 

人は正しさを求める。正しいとか間違いとか言ってくれる人を探し、そこで得た答えに寄りかかって安心していたいのだ。なぜなら自分自身が頼りなく、不安定で常にゆり動いてしまうのが我慢ならないから。外からの正解を得て安心するとそこで自分の道は止まってしまうのにね。

 

自分の道を行くというのは頼りない不安定な綱を渡るような側面があって、むしろ絶対的にこれだ!という方が危かったりする。私は正しいという安心を捨て、常に自分を見張って生きる。それはとても不安定でどこかに寄りかかりたくなるけれども、不安定さ受け容れ前に進む。慣れるまではとても心細いよ。

 

ガイドは迷っている人に道を示してはならない。示す道はその人のものではないから。道は示すのではなく、本人に探させる必要がある。道の探し方を教えるのがガイドというものだ。

 

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「これでいいのだ」って言う合言葉はね、絶対的な確信に基づく「これでいいのだ」ではないんだよね。

 

不安定だったり、弱かったり、自信がなかったり、揺らいだり、、、

 

そんなものもひっくるめての「これでいいのだ」なのです。

 

絶対的な正しさを手に入れると安心も手に入るように見えるのだけど、それは自分の道を歩んでいく上では邪魔になりかねないのだよね。

波動調整で磨いていく自分軸というものもそれに似ていて揺るがない正中線を固めることとは正反対のことをしていくんです。

その極意はトーラス整体で扱っているので、本当の強さたるしなやかさを身に付けたい人はぜひ受講してみてください。

 

スケジュールはこちらですよ。

 

 

 

「認めて欲しい」症候群の治し方

ごきげんよう、カタリスト☆Pです。

 

この記事は、「認めて欲しい」と自覚がある人と、「認めて欲しがっている人への嫌悪感がある人」=認めて欲しいという自覚がないけれど実は認めて欲しがっている人、双方に向けて書いています。

 

 

認めてもらわなくても、好きなことしたらいいよね。

 

勝手にね。

 

でも、なぜか他人が気になってしまう。

 

自分が他人からどう思われるか気になったりとか、あいつ好き勝手なことしやがってと気になったりとか、、、

 

とにかく、他人の動向が気になって仕方ない。

 

なぜなら、まず、自分が自分のしたいことをしていないから他人が気になる。

 

続きを読む

使命に生きるとか才能を活かすとか

ごきげんよう、カタリスト☆片岡ひろ子です。

 

今晩は、チキンのクリームシチュー(というか、スープかなぁ)とタラのムニエルバルサミコソース。

美味しい美味しいと家族が喜んで食べてくれる。

私にとっては美味しい料理を作ることは苦にはならず、得意なことなのに、「これは私がしたいことではない」と思っていた。

 

私の中に長いこと、それこそ40年くらいずーっとあった観念。

それは「やりたいことをやりたい!」だった。

つまり、「やりたいことがやれていない」という【無念】の中にいるんだと勘違いしていたのだった。無自覚に。。。

そういう思いがあることを認め、それにまつわるいろんなことを解いていくと、私はいつでも「やりたいことができる」んだということが腑に落ちて、今ここで豊かさの全てを享受できることへの絶対的な確信が生まれた。

すると、不思議なもので、「私がやりたいこと」は、人に喜んでもらえるように自分の才能を活かすことだった。

それは「自分が好きなことをする」のとはちょっと違う。

もちろん、料理は好きなのだけど、「私はやりたいことがあるから!」と、なんだかよくわかってもいない「やりたいこと」や「やるべきこと」を追いかけて料理なんてそっちのけだった。

 

大して得意でもなく、好きでもないのに料理を引き受けてくれたのは夫ジョージ。3人目を生んだ3年ほど前から私はほとんど料理をしなくなっていた。

 

しかしながら、「私はすでに満たされている」という絶対的な安心感の中では、時間は実にゆったり流れ、全ての行為を慈しむ余裕が生まれる。

すると、

「え?こんなことでいいの?これでそんなに喜んでくれるの?」

というぽかんとしてしまうような気づきがやってくる。

自分からすると全く特別ではなく、ごく普通の、当たり前にできること。

 

こんなんでいいの?

これでいいんだ…

というなんとも不思議な感覚が腑に落ちる。

 

きっかけは夫が体調を崩し、3〜4日寝込んだことから。その期間に私の中では次から次へと気づきが生まれていった。

これもまた、サポートなのだろうとありがたく思う。

 

 

ウェルスダイナミクスのプラクティショナーをしていた頃、6つの内的価値というレクチャーで、情熱と才能と知識、人脈、人格、目的というのを扱っていたのだけれど、まさに才能というのがその部分で、

 

「才能とは、自分には当たり前に出来てしまう天賦の能力のことで、自分ではそれが才能は思いもよらないので、自分の才能に気づくのは難しい」

 

そう語っていたのは当の私だったりして…。

そう、頭では理解していた。

得意なこと、自分にとって当たり前にできること、それが才能だと。

でも、「自分は満たされている」ということが本当に腑に落ちるまでは、「やりたいことをやりたいのー!」と小さな駄々っ子のように自分の才能を認めることがないのかもしれない。

少なくとも私はそうだった。

好きなことをしているつもりで無い物ねだりだった。

お役目の放棄。

才能の持ち腐れ。

私がキッチンに立ち、家族のために料理するということがどれだけ世界に豊かさのバイブレーションを広げていることか。。。

改めてそのことをありがたく思うし、人に喜んでもらうことがこんなに幸せなことなんだって、これまでも感じては来たけれど、そのレベルの深さに驚く毎日を送っている。

自分が満たされて初めて人に与えられる。

そのフレーズもありきたりだし、私も散々使ってきた上に、出来ていると思い込んでいたもの。

でも、そうでもなかった。

私の中では、満たされていない、「好きなことさせてよ!」と叫んでいる子供が暴れていて、それを見ないふりで生きてきたようだったことを理解した。

それこそ、才能を発揮し人に与えられるような「理想の自分」を演じることが板につきすぎて、本当の本当の「そのままの自分」を眺めることができなくなっていたのだった。

「そのままの自分」を認めることが「ありのままの自分」に近づく

とは片岡ひろ子の口癖だったw。

そこから微妙に逃げつつ、それでも逃げださずに来たことで、今ここの、満たされた喜びと幸せを味わうことができるようになったのだろう。

 

間違ってはいけないのは、やりたいことをやったから満たされたわけではないということ。

 

これが餓鬼畜生の想念の元だったりする。

 

満たされるために、もっと、もっとと求めてしまう。

 

餓鬼畜生になるもんかと思っていた私自身が餓鬼畜生を隠し持っていたのだった。

 

子供をガキと呼ぶのは、餓鬼だからなのかぁ。。。

 

やっと理解した。

 

満たされるのに必要なのは、満たされていないという妄想、幻想を見破ること

 

なぜなら、私たちはデフォルトで満たされているので、満たされていないというのは単なる誤解にすぎないのだ。

 

自分にまとわりついていた餓鬼畜生を払うのにかなりキツイ暗夜行路だったように思うが、夜明けの前には闇が一層暗くなるというのは本当なんだという体験ができた。

 

そういうわけで、仕事に関してもまた「私が当たり前にできて、人の役に立てる得意な分野」というのが明確になりつつあり、自分でも驚いている。

え?それを仕事に?そんなの仕事になるの?

というような、自分にとっては何の苦労もなくできる当たり前のこと。それが世界を豊かにし、他人に分け与えられる一番の才能なんだ。

そんなことにニーズがあるなんて、自分自身は気付かないもので、頑張って努力して何かを成し遂げようと、何か好きなものを見つけて仕事にしようともがいてしまう人が多いのかもしれない。

そういうわけで、料理は私の仕事。

心を込めて作ることで料理に魔法をかけられるから、どんなものも美味しくできる。

もしも、それを仕事にする日が来たら食べに来てね☆

でも、今のところはその路線ではなく。。。

こんなサポートが必要な人はどうぞ私を使ってやってくれたら嬉しいな。

 

使命とは、「自分のしたいことをする」だけでなく、「与えられた才能を他人(という自分)のために使うこと」なのだと思い直す今日この頃。

 

自分のしたいことをする、それそのものは使命というかベースなんだろうと思う。

 

でも、「したいことができない!」と密かに思ったままの非力な子供の自分が成仏されていないと、「したいことをするぞー!!」というキャンペーンになってしまうのだな。

 

今だからわかる、私の精神構造。。。

 

 

これからは、本当の意味でもっと大人な生き方を実践します。

 

つまり、満たされて、幸せで、他人をも喜ばす才能を分け与えられる人として。