【無料】魔法ポスト 〜貴方のネガティブ反転します〜
行動の源泉は?主人、御者、馬、車体
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ごきげんよう、片岡ひろ子.です。

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我が家のバラは、こんな風に咲き進んできました。

(誰か車庫入れを褒めてくれ!という感じの一枚)

 

日曜日の午後、いかがお過ごしですか?

 

あなたの本体、目覚めてますか?

先日開催したバーチャルひろ子の部屋、ご参加のみなさまありがとうございました!

 

いくつかご感想が届いているので、シェアさせてもらいますね。

 

片岡ひろこ様

 

バーチャルひろ子の部屋の開催、

ありがとうございました。

 

感想というか、なんというか、

とりとめが無いのですが、

お送りしたいと思います。

 

バーチャルひろ子の部屋に参加して、

自分が、あまり絶望していない、、

という事に、途中で気付き、

頭の中が混乱しておりました。

 

崖から飛び降りる話も、

うぅ~ん、ダイブしないなぁ~

まだ、生きることに未練あるもんなぁ~

と、思いながら、

 

そんなに絶望していないくせに、

ダイブしちゃう感覚も

なんだか、わかるんだよな~

そんな風に、感じながら視聴してました。

 

「まだ、やるべきことをやり尽くしてないのでは?」

と、ひろ子さんから言われて、

 

どうなってるんだ?自分?

と、終了後、自問自答しました。

 

それで、気付いてしましました。

 

絶望を感じないために

緩衝器が作動しているようです。

 

絶望しないために、

自分で自分に暗示をかけていた

暗示の言葉と、過去の記憶がよみがえりました。

20年前の、闇の記憶です。

 

でも、この緩衝器が無かったら、

生きてこれなかったなぁ~

そんな風にも思えました。

 

で、、気付いてしまった、この緩衝器を、

これからどうするのか…。

課題となりました。

 

ありがとうございました。

また、参加します。

 

緩衝器というのは、人格・エゴが本当のことに気づかないようにするためのブロックのようなもののことを指しています。

つまり、、、自己欺瞞から目覚めずに心地良く眠っていられるためのクッションみたいなものですねw

 

いやはや、素晴らしい気づき💕

 

波動調整の受容の講座でもお伝えするけれど、そもそもブロックは(幻から)自分を守るためにできるもの。。。

その時点では、対象を幻とは思えていないので、ブロックを作るしかしようがないのです、キャラクターの私たちにとっては。

でも、それに気づいたなら、次のステップは絶望を認めて味わうことですね🌟

 

もちろん、もう一回クッションを抱きかかえて眠りに戻ってもいいのですけれども、、、

 

ご感想もう一つ。。。

ひろ子さん、今日も有難うございました!

 

この世の闇の部分への抵抗や無力感もなんか

かなり薄らぎました。

 

 

何を体験しても大丈夫だな!みたいなダイナミックな感覚も

湧いてきました。

 

 

「自分はどこに向かいたいのか」を見据えて、

今目の前で起きていることそのままを受け容れて、

受け容れられないそのままも受け容れて、

丁寧にやる、

マスターの側の意識でい続けることの訓練を地道に

やり続けることに静かなワクワクを感じています。

 

 

時間感覚が、本当に今年に入って特に、

ゆったりなのに、いくつものことができていて、

しかも奥深くに静けさがあって集中しているような感じ

っていうことが多くて、ひろ子さんのお話が体感として

頷けました。

 

 

「もっとスケールのデカイ希望をもっているから、

この世的な希望に興味がない」っていうことばが

すっごく静かにいい感じに響いています。

 

これが世界の闇に対するもやもやを晴らす大きなカギに

なった気がします。

 

等身大の自分にいつも気づいていて、無理やりマインドで

どうにかしたり、早く成長する方向に背伸びしたりせずに、

マスターの意識で観ていながら、

来るものを避けたり予め回避したりせずに

充分に体験していきます。

 

いつもそういう勇気がもらえることがとっても

有難いです。

 

日常を丁寧に生きます!(毎回言ってる、笑)

 

有難うございます。

 

ではまた次回。

 

 この世の闇なんて見ないで、自分が見たいところだけ見ていたらいいじゃん!的なことをおっしゃる方々もいらっしゃるのですが、それじゃ、やっぱりダメなんですよね、本質を生きるには。

家畜的、機械人間的に生きる分には全然問題ありませんけども。。。

 

この世の二元性を見据えた上で、自身はどうしていくのか?

能動的に道を選んで生きていくことが大切です。

 

あ、それ関連の話、フェイスブックで投稿したのをシェアしますね。

まず、これ読んでください。長いけど。。。

 

奉 仕

自己の本質に目覚めかけた人は、
人に何かしてあげる事に
大きな悦びを発見します。

「人に優しくしたい」という、
人間の根元的欲求が
あるからです。

できる限り奉仕しようと
心に決めると、

奉仕されたい人を
引き寄せ始めます。

「人のためにつくす事は
良い事です」と親から、
そして教育者から教えられ、

その考え方を
自我が握りしめたままに
なっている人は、

もうこれ以上自分には出来ない
という限界まで
依頼が増え続けます。

やがてあなたに対する
他人の依頼が限界を超えてくると、
あなたはイライラしはじめます。

イライラした時の
人の思考パターンは
誰でも一緒です。

その人の「優しくありたい」
という気持ちとは裏腹に、

「そのくらい自分でやればいいのに」
というエゴの思いが
脳裏をかすめます。

人に奉仕するという、
プラスを追い求め続けている人に
現れてくる共通のジレンマです。

優しく依頼に応じられない
自分の非力を嘆きます。

自分の意地悪き思いに
愕然とさせられます。

こんな落とし穴に
落ち込んで
もがき苦しんでいる人が、

今この時期、
たくさんいらっしゃるようです。

ある人は、
こんな事ではだめだと更に頑張り、

自分を鍛えようと努力し続けますが、
いずれにしても限界にぶち当たり、

もうどうにもならなくなるまで
他人のあなたへの依頼は
増え続けてしまうものです。

これは努力によって
解決できるものではありません。

自分を責めてみたところで
解決するものでもありません。

あなたが頑張れば頑張っただけ
相手からの要求も
エスカレートしてきます。

あなたと相手はひとつだからです。

あなたが相手に
つくそうと思えば思っただけ、

相手は同じだけあなたに
要求を持ちかけるわけです。

創造主としての
あなたがプラスを
思えば思っただけ

その反作用として
マイナスを
創りだしているからです。

そこで人は考えます。

おかしい、何かがおかしい。

良い事をしようとしているのに
何で俺は苦しいのだろう。

何でお前はそ
のくらい自分でやらないのだ。

そのうち人は
依頼されること自体を

重荷に感じるように
なってくるわけです。

人に何か頼まれることに
恐怖を感じている人が
たくさんいます。

苦しくて苦しくて、
極限までいった人は考え始めます。

どうしてこんな事に
なってしまうのかと。

意識が内側を向き始めます。

外にばかり向いていた意識が
内側に向き始めるのです。

そこからが
あなたの真の成熟の時です。

他人から頼まれごとをしたとき、
ビクッとする事はありませんか?
 
特に自分には出来そうもないと
思っていることを
依頼されたとき、

どうしようと
混乱するのではありませんか? 

あなたは本当は何を
恐れているのでしょうか? 

どうして単純に出来ませんと
言えないのでしょうか? 

人からの要求に
どうしてそんなに
敏感に反応するのでしょう。

あなたに対する要求は
全てはあなたのハイヤーセルフが、

あなたを神へと導くために
起こしている現実にすぎません。

「人助けをすることは
良い事である」
と握りしめている人は、

なかなか他人からの
依頼を断ることが出来ません。

これも執着です。

「良い」と「悪い」を
手放しましょう。

人に奉仕できなくても
いいのです。

それよりももっと
大切なことがあります。

神はまずあなたが
幸せになることを
望まれているのです。

教育により、
人は正しさを学びます。

大切な学びの第一歩です。

「して良いこと」と
「してはいけない事」を
学びます。

こうして健全な意識の
第一歩を学びます。

他人からの賞賛というご褒美に
エゴはいい子でいることに
満足を覚えるからです。

人の意識が外に向かい始めます。

こうして良い子になったエゴは、
さらなる賞賛を求め続けます。

他人に奉仕したいという
自分の動機を
チェックしてみて下さい。

その動機は
どこからきていますか? 

そうすることが
「良いこと」だと判断した結果、
行動しているのではありませんか?

「それが良い事だからそうする」、
そんな事は当たり前だと
考えるかもしれませんが

「良い事だから」と
判断しているのは誰でしょう。

判断とはあなたの心が
下すもの。

すなわち判断しているのは
あなたの自我に他なりません。

すなわち純粋動機ではありません。

純粋動機とは
「ただしたいからそうする」
といったものです。

すなわちあなたの
内なる源からわき上がってくる
行動欲求だけが

純粋動機と呼ばれます。

純粋欲求に従って
行動している人に
苦しみはありません。

そこに比較判断がないからです。

もちろん、
良い、悪いの判断の結果、

行動することが
悪いと言っているわけではありません。

まず人は誰でも
良いと思ったことから行動を
起こしていきます。

社会の健全な常識を身につけ、
立派な人と
呼ばれるようになっていきます。

しかしどんな人も
これで終わるわけではありません。

この先があるのです。

外へ外へと
向かっていた意識が
内を向く必要があります。

次には良いことだと
握っていた考え方を
手放すことになります。

「奉仕する」という考えを
持っていなかった子供が、

奉仕する事は良い事だと学び、
人に奉仕できるように
育っていきます。

自分が奉仕家
(意識が外側を向いている人)
になってくると、

次には奉仕できない人を
裁きはじめます。

そこに奉仕者の葛藤が生じます。

そして奉仕しても、
しなくてもどちらでも良いのだと

ニュートラルな考え方に
なることによって、

自分は奉仕家であり続けながら、
なおかつ奉仕できない人を
裁かなくなってくるわけです。

円満な人格者の誕生です。

あなたの思う
「人のためにつくしたい」
という思いが、

つくされたいという人を
引きつけます。

どちらでもいいのだと
手放すことによって
あなたは自由になります。

あなたの考え方が
空っぽになったとき、

自我には
もうすることがなくなります。

この時、内なる創造の意識が
わき上がってくるようになります。

あなたに考え方がないとき、

深い深いところの意識が
あなたの肉体という表面に
浮上してくるのです。

それがあなたを
行動に駆り立てるように
なってきます。

それが純粋動機です。

その時あなたは
神のごとき働きを
始めることでしょう。

あなたは自分という
個体意識を持ったまま、

全体意識としての
活動家へと変わります。

そんな人が
結果を恐れることはありません。

良いと悪いがないからです。

ただ起きてくる結果を
楽しめるようになってきます。

どんな結果をも・・・。

良いと思ってしている
わけではないから、
悪い結果は生じようがないのです。

その方が都合がいいと
思って取った行動は、

うまくいかなかった時には
都合が悪くなるわけですから、
どうしても結果にこだわります。

したい事をしている人に、
恐れる結果はないのです。

人は特定の価値観を握ります。

まず握るところから始まります。

一つの価値観を受け入れると、
その考え方に基づいた
体験が始まります。

その中で
良い体験による悦びと、
悪い体験による苦しみの

両方を学びます。

この両極を体験しつくすと
その学びが終わるわけです。

人は良い体験ばかりを
求めますから、

まずプラスの体験をして、
苦しみの体験が
最後に残るのが常のようですが。

苦しくて苦しくて
どうにもならなくなったとき、
「もういいや」と

意識がニュートラルへと
シフトする事によって、
その価値観を卒業します。

握って、手放す、
握って、手放す・・・、

この永遠の繰りかえしが
人生です。

手放さないと
次のものが握れないからです。

これが宇宙の基本法則です。

握らないものは体験出来ません。

あなたの人生は、
あなたが握りしめた
価値観によって決まるわけです。

そして我々地球人は、
もうずいぶん永い間
この繰り返しをやってきました。

永い永い転生を経ながら、
永遠とも思える永い間、
このゲームを続けてきたようです。

もう三次元世界で味わうべき
テーマはやりつくした、

そろそろ終わりにしようと
考える人達が現れ始めました。

もう握るのはよそう、
自我は空っぽにしようと・・・。

それもいいかな、
と思う人は自分の欲を
チェックしてみて下さい。

自分はどうなりたいと
思っているのか、

自分が今、
手に入れようとしているものは
なんなのか? 

しばらく
その考えの中にいて下さい。

自分の欲に焦点を合わせ、

そのことに良い、悪い、の
判断を入れずに、
ただしばらくそこにいてみて下さい。

どうぞそのことに
時間を割いてみて下さい。

心を落ちつかせ
「自分の欲・・・」を
感じようとしてみて下さい。

それを単に観察して下さい。

たっぷりと時間をとって。

必ずその正体が
わかる時が来るでしょう。

「解った」という瞬間が。 

その時あなたは
これまで味わった事のない
開放感を体験することでしょう。

楽しみですね。

今、このとき、この時代、
これ以上に
大切な事はないでしょう。

あなたが割くことの出来る
全ての時間を
この事に集中してみて下さい。

「私は何をしたいのか
わからない」
と多くの人が言います。

将来何をすればいいか、
どう行動すればいいかは
考えなくて良いのです。

それはあなたが
「わかった」と
悟った後にやってきます。

あなたがした方がいい事は、
自分を観察する事だけです。

自分の「欲」を観察して下さい。

じっくりと、時間をかけて、
瞬間瞬間、
自分の心を眺めて下さい。

自分が今何によって
動かされているのかを。

意識的にか、
無意識的にかは別にして、

あなたが判断して取る行動には、
全てその源に
恐れが横たわっています。

その恐れの元を
発見して下さい。

観照することによってのみ、
その原因がわかります。

これは誰でもわかることです。

これまでわからなかった
という理由だけで
あきらめないで下さい。

果たしてあなたは
どれだけの時間を
そのことに使ったのでしょうか。

あなたは今、
自分が生存することを
目的とすることに

どれほど莫大な時間を
費やしているでしょう。

その10%でかまいませんから
毎日毎日
自分の「欲」を感じて下さい。

それを眺めて下さい。

決意を持って凝視して下さい。

必ず解るようになってきます。

これは人間の能力には
関係ありません。

あなたが呼吸をする能力を
持っているのと同じほど
簡単なことなのです。

ただあなたが
使おうとしなかった能力
なのですから。

私に出来ることは
全員に出来ることだと
伝えられました。

それを受け入れるか否かは
あなたの選択です。
そのための
無限のサポートが
もう始まっています。
それは決心した人に
やってきます。

 

(津留晃一の世界より)

 

で、それへの私がシェアするときに足したコメントです。

 

最近、譲司と日常の自分の行動の源泉が
 
馬=感情なのか
車体=身体なのか
御者=マインドなのか
主人(あるじ)=自己なのか(自我ではない自己)
 
ということについて話をしている。
 
大概の人は3つの僕(しもべ)のうちのどれか一つが優勢に働いていて、主人は眠ったままであることが多く、そもそもどの僕が勝手にやらかしているか本人には見分けがつかない。
 
でも、注意深く自分を観察、洞察し続けると、どの僕(センター)が反応しているのかわかるようになって、それに気付ければ主人がその僕を従えることができるようになる。
 
主人が目覚めてきたら、ここで津留さんがいうような純粋動機に基づいて、それを経験するために3つの僕を使いこなし、目指す行き先まで到達することができる。
 
主人が目覚めないままであれば、僕たちがプログラムによって自動反応して機械的に生きて死ぬ道しかない。
 
それもまた人間の一つ生き方ではあるけれども、主人が目覚めればそうではなく本当の意味で能動的に生きる道を歩むことも出来るようになる。
 
大きく分けて道は二つ。
 
反応的機械的に堕ちていく道と能動的自発的に元来た方に戻る道と。
 
本質に還るというのは、後者の道を行くことをいう。

 

これね、とっても難しいけど、自分に気づいていることができるようになってきた人はチャレンジしてください。

 

今、どのセンターが優勢に働いているか?を見分けること。

人間4番に進むには、とても大切なワークです。

 

人間4番というのは、3センターのバランスがとれてる人のことでしたね。

通常の機械人間は人間1番2番3番です。

どれか一つのセンターばかりを使って生きています。

 

まずはそのことに気づいていること。

欲ではなく、意志で生きられるようになるには必須です。

なぜなら、まずは意志する主人(あるじ)が目覚めないとならないからです。

そこが寝たままでは、「やりたいこと」は、単なる欲でしかないのです、誰かにプログラムされた。 

 

この辺りのテーマ、今期のノイタミナ「さらざんまい」で扱ってるので、面白ですよ。

後半どんな風に展開するのか楽しみです。

クソアニメで終わらないことを切に願っていますw

 

そういうわけで、来月のバーチャルひろ子の部屋もお見逃しなく⭐️

⭐️6/11The true naturesミーティング @バーチャルひろ子の部屋 vol.22

 

ああ、このパートだけですでに長くなっちゃいましたね。

今日ここでおしまい!

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